「たった5分で言わなくてもできる子に変わる本」の読書メモです。
序章 言われなくても自分からできるようになる「モンテッソーリ流3つのルール」
ルール1:「やりなさい」と言うより、自分からやりたくなる環境を整える。
子どもは「言われてやる」ことに喜びを感じないが、「自分で選んで行動できる」と、達成した喜びを感じることができる。
ルール2:言って聞かせるより、やってみせる。
人はやり方がわかればやりたくなるもの。言葉で説明するのではなく、親が実際にやって見せる。視覚で学ばせる。見ることに集中させる。
全てをやってあげるのではなく、つまづいたところだけサポートしてあげる。子どもは基本自分でやりたい。全部やってあげちゃうとやる気を失う。
ルール3:自分のやりたいことに集中する体験「フロー体験」を見守る。
乳幼児期に夢中になって取り組み、自分が満足するまで完了する経験。この経験がどれだけたくさんできたかで、いざとなったときにどれだけ集中力を発揮できるかどうかが違ってくる。
子どもが夢中になって集中しているときは、大人は決して邪魔をせず、自分の気配を消すくらいの気持ちで静かに見守るのが大切。下手に話しかけると集中が切れてしまう。
子どもに「やらせる」のではなく、「もともと持っているすごい能力を引き出す」という気持ちで実践する。
第1章 まずは、環境を整える
脳は嫌な言葉を排除しようとするので、「ダメ」と言った瞬間に聞く耳を持たなくなる。
朝から知的な活動をすると、心が落ち着くという効果がある。
「おしまい」は子どもに決めさせる。最後までやり遂げることで納得し、達成感につながる。自分で決めることで自制することを学ぶ。
料理に参加させる。子どもは自分で作ったものを食べたい。
やらされてる感がなくなると自分から動ける。選択肢を与えられると子どもは自ら行動するようになる。
子供が失敗したときに叱ったり、注意するのではなく、どう対処するのかを教えるのが大切。最初にしっかり教えさえすれば次に同じことがあったとき、子どもは自分で処理することができる。
失敗した時こそ「考える力」を引き出すチャンス。「どうしたらいいと思う?」と質問すると、考える子に変わる。
考える力を養うためにはお母さんの質問力も大事。将来、社会に出た時、次から次へと困ったことが起きる。困ったときにどう対処したらいいかわかる子は社会で活躍できる。そのためには小さいうちにどれだけ困った体験をするか、なのです。何度も失敗してトライすることを繰り返してきた子は強い。
「ゼロの概念」をこの時期から知るのはとても大事。ゼロになったらおしまい、ゼロ=「ない」という感覚を掴むことができる。
子供に新しいことを教えるときは言葉をかけずに、ただ黙ってやり方を見せる。集中させたいときは視界に余計なものを入れないようにする。
「ちょっと難しいけど」は魔法の言葉。子どもは挑戦したい、成長したいと思う生き物。「ちょっと難しいけどやってみる?」でやる気にさせる。
第2章 わが子の発達に合わせる
「今、この子には何が必要なのかな」「何を求めているのかな」という見方で我が子をよく観察する。観察して試行錯誤していろいろ試してみる。今の時代、この試行錯誤が絶対的に足りていない。
「前のステップ」に戻ると、すんなりできるようになる。前の段階で土台を作って次のステップへ。いきなり高度なことはさせず、焦らずに遠回りしたほうがいい。ただし、いつでも挑戦できるように環境は整えておく。自分で「できる!」と判断できたときに子どもは自分から使い始める。
「子どもは動きながら学ぶ」。体を動かしながら情報を入れると、より脳の前頭葉に吸収しやすい。
無理に食べさせるより、その子が20分で食べ切れる量にする。食事に限らず、その子が「できる分だけ(食べられる分だけ)与える」のがコツ。
自然と体幹と脳が鍛えられる遊具3点セット「トランポリン」「うんてい」「背もたれのない椅子」
手指を使うことが脳の刺激になり、脳を発達させる。
第3章 習慣を変える
子どもの「できない」は親の口癖が原因。「ダメ」という言葉がいかに効果がなく、子供を考えない子にさせてしまうか。考えない子を作ってしまう「ダメ!」をやめる。「そう、そう」と反応してあげることで子どもは自分で正解を見つけるよう考えるようになる。
子どもを「観察する」習慣が、心のサインに気づき早めの対処につながる。
トイレットペーパーの長さの適量も幼いうちにしっかり教える。このタイミングで教えなければ一生誰にも教えてもらえない。
もし「ダメ!」と叱ったり、叩いたり、怖い顔をしたりしたら、子どもはその不快な思いを排除する方に意識が向いてしまう。してほしくないことをやめさせたい時は、その「やめさせたいこと」に子どもの意識を集中させなくてはならない。お母さんが怒れば怒るほど刺激になって、その行為が促進され、習慣を強化するだけ。叩いたり、ちょっかいを出してくる子は、お母さんが「痛い」「やめて!」などと反応することでそれが刺激になってやめられなくなる。だから反応しないこと。叩かれそうになったら自ら離れること。過剰に反応せず、そっけなく淡々と対応することで子どもに「悪かった」と考えさせる。すぐに子どもに謝らせて問題を解決させようとすると、子どもに「悪かった」と考えさせるチャンスを奪ってしまう。子ども自ら謝ってきたら「わかってくれたね。ありがとう」と声を掛ける。最後のこの言葉掛けが大切。子どもはまず自分の気持ちを受け止めてもらって初めて、良い行動が取れるようになる。この締めの一言で子どもは「認めてもらえた」と満足し、良い行動が習慣化する。
モンテッソーリ教育では子どものもめ事に大人が介入しないことが基本。状況が許せば、子どもの喧嘩は無理に解決しなくても大丈夫。「今、人間関係を学んでいるのね」くらいの気持ちで見守ることができたら最高。
どうしてもやりたいことなら子どもは待てる。これもモンテッソーリの考え方。やりたい遊びがあれば順番を守ってずっと待っているのが子ども。待てないということは、本当にやりたいものではないということ。欲しいものに対しても同じ。本当に欲しいものかどうか、子ども自身に考えさせる。
兄弟喧嘩に親が介入すると碌なことがない。たった一言「喧嘩は外でやって」というのが効果あり。そう言うことで子どもたち同士がその状況をどうすれば良いのか話し合うようになる。ただし、喧嘩のきっかけを見ていて、明らかにどちらかが悪い場合は例外。悪かった方に言い聞かせる必要がある。
おもちゃの取り合いや順番を守れない場合、モンテッソーリ教育では、今集中して遊んでいる子どもを尊重するので「今この子が遊んでいるから終わってからね」と声を掛ける。ただし場合によってはあえて「奪い取らせて」その後の様子を見る。すると奪い取った子はバツが悪くなって自ら反省し、奪ったおもちゃを返すようなことがある。もし大人が介入してしまっていたら、奪った子は自分が「悪いことをした」と反省する経験を得られなかった。子ども同士の喧嘩は見守り、経験を通じて学ばせる。
最終章 子どもの能力を最大限に引き出すモンテッソーリ流お母さんの心得
家庭でできる感覚ワーク:「何の音?ワーク」「同じ色のものを探すワーク」
子どもが困ったこと(わがまま)を言うときは、必ず「わかって欲しい」「助けて欲しい」と言う気持ちが隠されている。お母さんが共感してただ聞いてくれていることで信頼感が生まれ、わがままを言う理由がポツリポツリと言葉として湧き出てくる。
大人が間違いを訂正しない。子ども自身に間違いを気づかせたい。例えば鏡文字など。なぜ間違いを訂正しないようにするのかと言うと、子どもは大人が思っている以上にプライドが高いから。プライドが傷つくと挑戦しなくなってしまう。本当はやればできるのに自信を失うことでできなくなってしまう。すぐに子どもが間違いに気づかないときは、まだその子自身が気づく段階にまで達していないと言うことなので、その時期が来るまで待てば良い。
プライドが高い子はできないことを恐れる。できる自信がないから「やらない」と言う。やってもできるかどうかわからないもの、新しいものになると失敗するのが怖いのは当然。失敗してもいいんだよ、失敗もOKだよ、と言う経験をさせてあげたいので、その子にもできそうな別のことをやらせてみる。
「待つことができる大人」に育てる。
待たせたことを叱るのではなく、「待つことを教える方が大事」。待つことができる人とは、寛大な人、心が広い人、人を許せる人。「待つ」ということは「我慢すること」「忍耐がいること」だと考えがちだが、「許すこと」。